今日は雨

よく「あいにくの雨」なんて言葉を耳にするけど雨は嫌われることが多い

 

たしかに晴れの日にしかできないイベントなどがその日にあれば雨は忌み嫌われるても致し方ないと思う

 

実際自分も雨を憎んだことは数え切れないからだw

 

だが少し前にメンタルマネージメントのセミナーに参加してからは雨を憎むことはなくなった

 

その時の話が面白かったので簡単に紹介すると

 

「事実」と「解釈」によって人間の気分は変わるというお話

 

「雨だ!最悪ー!」

聞いたことはないだろうか

 

しかし最悪な雨などない

 

雨が降ることによって喜ぶ人もいるからだ

最悪なのはその日に予定してたことが雨によって中止になってしまうことであり、雨自体は最悪ではないという話

 

起こった事実に対して解釈を変えてやれば気持ちが楽になるという話だった

 

自分の文章力で伝わってるか心配だがw

 

もう1つ例をあげるとするならば

 

交通事故にあう

これも気分的には落ち込んでしまう対象ではないだろうか

 

しかし車が全損した事故にも関わらず無傷だった場合はどうだろうか?

 

事故が起きた事実を変えることはできない

変えるとするならそれは隠蔽でしかないw

 

解釈は変えることができる

 

こんなに大変な事故だったのに無傷だった

俺は守られてるな

 

同じ事故でも気の持ちようが大事なんじゃないだろうか

 

解釈と友達になろう(笑)

 

謎の一言でブログを締めよう

 

 

<p>今週のお題「私の沼」</p>

 

「生きること」かな

 

人はどうせ死ぬやん?

 

全ての生命に終わりがあるよね

 

死ぬために生きてる

 

人によって生や死への価値観は様々だと思う

 

なぜ生まれてきたのか

なぜ死ぬのか

 

本当の答えなんて誰にもわかるわけないよね

 

だから個人の価値観でそれはいいと思う

 

身近な人が亡くなればなぜか悲しい

 

それを受けて自分も死ぬんでは?

とも思わない

 

どこか自分は病気や事故にはならないと勝手に確信してるしねw

 

ハマってるとは違うかもしれないけど生きてる理由をしっかり答えれないのに生きてるってことはハマってるってことなのかなーって

 

好きなものにハマってるってのも理由って曖昧だったりしない?

 

「なんか好き」みないなさ?

そんな感じ

 

自分の解釈としては幸せになるために生きる理由を探すために生まれてきたとは思ってる

 

でもその幸せですら正解がないからなー

 

って今回もまた意味のわからない文章でブログをとじようw

はじめまして

ありきたりなはじまりを


今日からなんの気まぐれかぶろぐをすたーと


はじめたはいいが書くことはない(笑)


書くことはないと言うことを書いてることはもはや書くことがないということが書くことになってるんじゃないかって思う


文才なさすぎてアホすぎるから上の文章も支離滅裂ってる。w


まぁ世界で1人でも読んでくれる人のために

もちろん気まぐれで度々あげていこうと思う


世界の誰かよ

今日からよろしく!!